複雑系科学とサプライチェーンマネジメント


ビジダイン代表取締役
経営コンサルタント 今岡善次郎
http://www.bizdyn.com


 本論は、今岡善次郎著「=企業収益を上げる仕掛け=サプライチェーン マネジメント」の序章「複雑系科学とサプライチェーンマネジメント」をそのまま、当サイトの
・「SCM入門」
・「SCMソリューション」の「BPE・方法論」
の双方に並列掲載させていただくものです。
同書は1998年に工業調査会から刊行されましたが、前半がゴールドラットの「ザ・ゴール」を参照した実践事例の探求、後半はTOCやスループット会計などのSCM支援理論の解かり易い紹介、という構成になっています。「ザ・ゴール」の完全日本語訳版が漸く出版された今、今岡さんの著作の紹介という観点ではなく、改めてSCMの概説としてその序文を紹介させていただきます。

2001年8月 梅澤記



 今、「複雑系の知」、または「複雑系の科学」が注目されている。米国のニューメキシコ州、標高2000メートルの高地都市サンタフェにあるサンタフェ研究所が、そのニューパラダイムのメッカである。私はたまたまここを訪れる機会があり、オペレーション担当の副社長ブルース・アベル氏に、複雑系科学に対するビジネスの関心と、ビジネスへの応用について聞いた。
 複雑系についての解説書は書店に行けば山のように積まれ、いろいろな角度から解説がなされているが、まだ定説となる理論とはなっていないといわれている。この科学が説明する対象が従来のよな自然現象だけではなく、社会、経済、生態系、生命、歴史などを網羅するため、理系文系を問わず「知」に興味のある読者を惹き付けている。
 ある現象を理解するため、従来の分析的方法である要素還元法(部分に分解する方法)では、部分の説明はできても全体の説明にはならない。部分となる要素が相互間のビヘイビアー(行動)を決め、その簡単なルールが、思いもかけない結果を生むことをエマージェントビヘイビアー(創発的行動)という。これは、生命の進化にみられるだけでなく、物質科学の相転移にも共通点がある。したがって、複雑系科学は分析的ではなく、モデル化によるシミュレーションで現象を把握し、問題解決するアプローチといっていい。複雑系ではこのときの構成要素をエージェントと呼び、自立性を持った要素としてモデル化する。

 さて、ブルース・アベル氏によるとビジネス界で最も注目されている分野は、サプライチェーンマネジメントであるとのことである。企業経営理論に新しいパラダイムをもたらすかもしれないという、期待があるからだそうだ。資材部品、商品の供給の流れは製造販売と調達物流のすべてを一つの企業内で、また、企業間の組織を超えて複雑なチェーンを構成している。
 たとえば、ニューヨークの食物のサプライチェーン上には、全体のサプライチェーンマネジメントのセンターがないのに二週間の在庫に調整されているという。従来の米国の経営学には、ビジネスプロセスを機能分解する要素還元法という分析的アプローチが中心にあった。経営学といえども要素還元的な分析手法が前提になっており、分析的に説明できないものは「経営はアートである」との、ハーバードビジネススクールの教授がいった有名なスピーチのように、科学の外側におかれている。
 複雑系は科学として研究され、サプライチェーンという用語が新しい経営の言葉として米国で注目されているのは、この複雑系のパラダイムと無縁ではないと思う。経営者が経営組織を生命体として類推することは科学的ではないかもしれない。しかし、日本でのTQC(総合的経営品質管理)やTPM(総合的設備保全)のような生命体としてのアナロジー(類推)があるが、これこそ「複雑系の知」そのものといってよい。
 サプライチェーンマネジメントを素直に日本語でいえば「供給連鎖の管理」となるが、多くのビジネスマンはリエンジニアリング、バーチャルコーポレーション、コアコンピテンスなどと同じように、米国発の新しいコンセプトをもたらす経営用語を連想するであろう。これらのカタカナ言葉が、実は日本の製造業の強さを分析することから生まれた新しい概念であるということはよくある。
 たとえば、リエンジニアリングやコンカレントエンジニアリングは日本のTQCが思想的なバックグラウンドであるとか、バーチャルコーポレーションは日本の企業グループ系列の考え方を一般化したものであるとかいう説である。その日本的なTQCは、欧米人からみると複雑系のエマージェントビヘイビアーと映るようである。すなわち、トップダウンの指揮命令ではなく、現場の行動ルールが奇跡を生んでいるという見方である。
 日本人の強みは、現場の複雑な状況を現場対応で解決することであるといわれている。欧米人はシンプルな理論化、コンセプト化を伴うモデル化が得意であり、複雑系科学の現象のモデル化である。日本人は演繹的応用(既存の理論から現実の世界の適用)は得意としても一般的に理論化、モデル化はどうも苦手である。日米の複雑系の識者の話では、欧米人は大胆な切り捨てで近似することによって解析するが、日本人または東洋人は複雑なものは複雑なままでみようとする。だからモデル化の基本である本質的でない詳細な部分を削除し、重要なものをハイライト化する行為において、欧米人ほど日本人は大胆になれないという文化的背景があるのかもしれない。
 いずれにしろ、それぞれの特質を生かし、欧米人が日本のやり方をみて一般化し、それが経営手法となって日本にフィードバックされ、相互に進化する(コエボリューション=共進)ことは、これからの世界の経済にとってのトレンドであろう。複雑系の知は、このような社会や技術における国際的な進化のプロセスのダイナミックスも説明してくれる。

 複雑系のキーワードにメタファー(比喩)がある。これは異なる現象間にある共通性を言葉で表現することによりモデル化し、問題解決のための発想を得ようとするものである。たとえば、「流れ落ちる砂で形成される砂山」「岩肌を流れる滝水の一定の形」「ロウソクの炎」は、複雑系では「散逸構造のモデル」で一般化される。物質とエネルギーは、対象とするシステムの外部と常に入れ換わって(交換)いるが、システムは安定している。生命体も細胞や細胞を構成する分子や原子は常に入れ換わっていて、物質として生命をみると一年前のあなたは現在のあなたとはまったく違う存在だが、生命体としては炎や水の流れと同じように連続性があって安定している。社会や組織も同じように構成員となっている人間は変っても、生命と同じように連続性と安定性がある。
 このような比喩が、複雑系のモデル化と問題解決のアプローチである。
 「複雑系からみたサプライチェーンマネジメント」を主題とする本書は、米国のビジネス小説『ザ・ゴール』(エリヤコフ・ゴールドラット著)を参考文献としている。この小説は経営書であり全世界で200万〜250部以上を売ったベストセラーであるが、ベストセラーになった秘訣は複雑系のコンセプトであるメタファー、あるいはアナロジーの手法を取り入れて、企業経営を人間社会の問題として述べているからだ私は思っている。
 その中で経営の重要な概念として同時並行のマネジメント(コンカレントマネジメント)について述べているが、これは、以前私が著した『経営力学』(日本工業新聞社)の考えと同じだと思っている。生産と販売を含むサプライチェーンの各オペレーションは順次的な現象ではなく、同時並行または同期化が必要だとうテーマてある。
 同時並行性は複雑系科学のテーマであって、生命体の特徴であることが近年わかっている。ところで、この『ザ・ゴール』は、コンストレイント(制約)ベースのサプライチェーンマネジメントの元祖ともいわれ、米国の製造業を眠りから覚ましたとの賛辞を受けており、これからヒントを得たコンピュータソフトウェア産業が急成長し、アメリカ合衆国株式会社を蘇らせたなどの評価もあるほどである。同書はまだ和訳出版されていないが、私がたまたま米国のソフトウェア会社の経営支援をしているとき同書を知った。私は、同書に述べられているコンセプトの重要性を感じて、1997年2月から3月にかけて東京と大阪で計3回のセミナーを開催した。そのセミナーの資料が、本書のベースとなっている。
 そのような形で日本で初めて一般向けに同書を紹介したいと思っていたら、『TOC革命』というゴールドラットを紹介する本が同年6月に日本で出版された(参考文献)。
 さてこの小説から私が抽出したサプライチェーンのモデル上の概念は、次の三つである。以下は同書を参考にしながら、私の推察を取り入れて構成している。
 第一は「シンクロナイゼーション(同期化)」、第二が「ボトルネック」(一般用語ではこれでわかりやすいが、経営用語では制約という意味のコンストレイント)、そして第三が「経営のスピード」である。
 サプライチェーンは、この三つが相互に関連しており、製造業の経営の力となる収益力を飛躍的に向上させるキーとなる考え方であり、ロジスティックスや物流などのコストだけのマネジメントとは違う概念である。これらのダイナミックスは、スループットという生産と販売を一体化したもので、キャッシュフローを生む「速度の概念」を登場させた。日本でのTQCは漢方薬のようにいろいろなツールが混合しているが、ゴールドラットの方法は、切れ味の鋭い有効成分を抽出した処方薬のようである。ゴールドラットの著作を読んでいると、この切れ味の鋭い有効成分を抽出するにあたって、彼が研究した対象にはTQC、ジャストインタイム、そしてカイゼンなどの日本発の「漢方薬」も含まれていることは否定できない。
 ジャストインタイムというと、在庫ゼロを理想とする経営とみられがちであるが、果たしてその効果は運転資金を減らし金利を下げるなどの在庫維持削減だけなのであろうか?単純に在庫だけではなく、それはもっともっと利益に直結した考えであり、従来の会計上の原則に挑戦する考え方であろう。従って、『ザ・ゴール』では、「メイクマネー」(金儲け)という直接的な目標を表す言葉が使われている。
 そこで、本書では「メイクマネー」に相当し、これらのサプライチェーンマネジメントによって改善する経営指標をどう選べはよいか、企業の財務体質を強化する経営指標は従来の会計上の収益性を測定する売上対比の利益率とどう違うのか分析し、より直接的な指標ROA(リターンオンアセッツ=限られた資産からいかに最大の利益を上げるかという経営概念)について解説する。
 従来の会計上の利益計算ROS(リターンオンセールス=売上高利益率)では経費を資産化して在庫に計上し、基本的にその価値は普遍だとみなす。しかし、製品のライフサイクルは短くなり、インフレ経済は過去のものとなった今日、本書で述べる会計上の多くの前提を見直す必要があるとのメッセージもインパクトがある。企業の力は生命体としての生命力にあり、会計上の収益力では表せないことを、大手企業の財務データを使ってベンチマーキングした事例も紹介する。
 サプライチェーンを構成するエージェントである人間、設備、材料、部品、そしてコンピュータソフトウェアは、複雑系の考え方では従来と違うパラダイムでとらえる必要がある。トップダウンでプラニングする中央計画管理型から、自立分散型にプラニングしたほうがはるかによいということもその一つであり、日本発のTQCやジャストインタイムも含め、日米両国の経営の方法論についても最後に言及する。

 本書は、事例として、小説『ザ・ゴール』を部分的に引用しているが、原本を忠実に表現しているわけではない。ストーリーをダイジェクト化したり、む解説用の図面を加えたり、日本人に馴染みやすい表現にしたり、そしてまた私自身の創作をストーリーの中に融合させている。
 本書の主題は、第二部のサプライチェーンマネジメントの理論的考察にあって、小説『ザ・ゴール』の翻訳や紹介を目的とするものではない。したがって、「編曲」ではなく、私自身の体験に基づく「作曲」であると思っている。しかしながら、複雑系のアプローチは現象のモデル化にあり、この小説のリアルな表現を最も重要な要素によって抽出する点においては、ゴールドラット氏の大作を私の視点からモデル化した「作品」だと解釈していただきたい。米国では小説『ザ・ゴール』がきっかけとなって、さまざまな出版物が発行され、サプライチェーン、TOC(制約理論)が注目されている。日本でも、本書『サプライチェーンマネジメント』がトリガーの一つになって、各方面でサプライチェーンやTOCが研究されることを願っている。

1998年1月
今岡善次郎